狩野亮選手インタビュー

狩野 亮 選手

INTERVIEW

当社所属のチェアスキー選手として競技を通じて、障がい者スポーツの魅力や障がい者への理解の拡大にチャレンジしている狩野亮選手。昨シーズンの振返りと世界を転戦し各国の障がい者への配慮に数多く触れている経験から、障がいを持った方との関わりについてインタビューしました。

昨シーズンはどんなシーズンでしたか?

一言で言うと「うれしさ」「悔しさ」どちらもあったシーズンでした。

まず「うれしかったこと」としては、目標であったワールドカップの高速系種目において種目別優勝を果たせたことです。高速系種目の種目別優勝は、ワールドカップで行われる滑降とスーパー大回転の成績によって決まります。滑降とスーパー大回転は私の得意な種目でソチパラリンピックでも両種目で金メダルを獲得できましたが、これまでワールドカップで種目別優勝を獲得する事はできていませんでしたのでとてもうれしかったです。

次に「悔しかったこと」としては、世界選手権・高速系でのメダル獲得を逃したこと、そしてワールドカップ・技術系でのメダル獲得ができなかった事です。技術系種目である大回転や回転は、素早い動きと細かいターンが要求される、とてもテクニカルな種目なのですが、まだまだ自分自身の技術を磨く必要があると感じました。

ソチパラリンピック後の1年目でしたが?

帰国してから忙しく、多くの方が注目して下さるのはとてもうれしいことではありましたが気持ちが切れてしまわないか心配でした。しかし、ソチパラリンピックのスーパーコンビで失敗してしまい喜びよりも悔しさが勝って、絶対にリベンジしてやるという気持ちが強く、その気持ちを維持することができました。そして、次の平昌(ピョンチャン)パラリンピックにむけての課題が見つかった年でもありました。

車いす生活となった経緯は?

小学校3年生(8歳)の時に横断歩道を飛び出してしまい、制限速度を大きく超えた車にはねられ下半身不随になってしまいました。当時は幼なく事の重大さを理解できず治ると思っていたので、自分よりも両親や周りの方が衝撃は大きかったと思います。治らないと分かった時はクラスメイトと遊べないことがあったり、行きたい所に自由にいけないということなどがストレスになり、親にあたってしまった時期もありました。

スキーとの出会いは?

小さい時から父とスキーはやっていました。チェアスキーと出会ったきっかけは、退院後アーチェリーをやっていて、そのアーチェリーの先生がチェアスキーの存在を教えてくれたことでした。チェアスキーを始めてから、それまで以上に障がいを持った多くの方々と知り合う機会が増えました。その方々は同じように事故やけがで障がいを持っていても楽しそうにチェアスキーを滑っていて、私もくよくよしていてもはじまらない、自分にもまだまだできることがあると教えられました。それから障がいというものを乗り切れるようになったと感じています。

マルハンとの出会いは?

大学卒業後もチェアスキーを続けていきたいと考えていましたがどのようにしたらいいかわからず、まずは自分を知ってもらう為に100社くらいにプロフィールを送りました。27位という結果に終わったトリノパラリンピックの2年後のことです。興味を持って会って下さった企業は5社くらいだったと思います。その中でも何度も岩手まで来て熱心に話を聞いてくれるマルハンの人事の方々や韓裕社長の人柄に触れマルハンに興味を持ちました。そしてここでやりたいと思いました。

店舗勤務時代の仕事内容、店舗の印象は?

当初は川中島店のクラークとして、2年ほど競技をしながら書類作成や勤怠管理など店舗の事務の仕事をしていました。それまで、パチンコをしたことがなく、全く知らない世界なのでどんな仕事をするのだろうとドキドキして出勤したことを覚えています。店舗ではスタッフ間のコミュニケーションがとても良く和気あいあいとした空気感があり、すごく楽しく働けました。

現在は人事部障がい者スポーツ推進担当として競技や講演などを通じて障がい者スポーツの素晴らしさや自身の体験を伝えてくれています。

昨年はオフシーズンに学校や各種イベントで15件くらい講演をさせて頂きました。

イベントによって対象者が子ども、大人と様々ですが、自分の体験を通じて聴いて下さる方の心を動かせたらいいなと思い取り組んでいます。中でも、子どもたちは僕らの滑りを見て障がい者スポーツってカッコいいなと印象を持ってくれたり、メダルを見せるとキラキラの笑顔がかえってくるので逆に元気をくれます。それに、子どもたちの質問やアンケートは「ここで立ち止まってはいけない」と奮い立たせてくれます。4年後、8年後も成績を残して、もっと大きくなったこの子どもたちにまた話ができたらいいなとも思ったりします。

ソチオリンピックの壮行会に母校の中学校からビデオレターをもらったので、金メダルを持って報告に行きました。「僕らが横断幕書いたんだよ」などと話ができたことはとても印象に残っています。この様な経験が何か頑張るきっかけになればと思っています。

これからも、ただ結果を出すだけではなく、その結果や経験を多くの人に伝えることでその話を聴いた方が元気になるように活動していきます。

障がいを持つ側から見て店舗づくりに思う事はありますか?

車いすでパチンコ店に遊びに行きたいと思っても備え付けの椅子や通路、その他スペースなどを考えると気を遣ってしまいなかなか遊びに行けないのではないかと思います。

私はバリアフリーとは全て自分でできる環境が理想だと考えています。例えば電車に乗る時に駅員の方がスロープを用意して対応して下さるのもバリアフリーと言えると思います。とてもありがたいです。しかし、一番ありがたいのは誰にもお願いせずに動ける環境があることなのです。

カナダにウィスラーという街があるのですが、そこでは全ての段差に「車いすの方はこちら」とスロープの方向が示されていました。バスもボタン一つでみんなが乗るところにスロープが降りてきます。とてもストレスフリーなバリアフリーだと感じました。しかも、街だけでなく飲食店など全てがバリアフリーでした。たとえバリアにぶつかった場合でも必ず解決策が示されていました。

恐らく今はパチンコ店へ遊びに行けば椅子を外してくれて遊ぶことができるお店が多いと思いますが、誰も呼ぶことなく遊べるようになれば理想的だと思います。

最後に、皆さんからよく「声をかけた方がいいのか迷う時がある」と聞かれます。障がいの程度にもよると思いますが、私は何かあったら声をかけるので、後は普通に接して頂ける環境があることの方がうれしく思います。それには声をかけやすい雰囲気を障がい者とそうでない人の双方で作っていく必要があるのではないかと考えています。その為には障がいのある人ももっと社会に出て、多くの人たちと触れ合うことが必要だと思います。海外を転戦して感じることは障がいのある方も当たり前に街にいるということです。日本でも障がいを持った人とそうでない人とが触れ合うことで理解が深まるのではないかと思います。

プロフィール 狩野 亮(かのう あきら)

1986年3月14日生まれ、北海道網走市出身。小学校3年生の時に事故により脊髄損傷。中学1年より本格的にチェアスキーに取り組み、2006年トリノ大会からパラリンピックに3大会連続で出場。2010年バンクーバー大会ではスーパー大回転で金メダル、滑降で銅メダルを獲得。2014年ソチ大会ではスーパー大回転、滑降の2種目で金メダルを獲得。

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